岡山家庭裁判所 昭和50年(家)505号 審判 1980年7月07日
申立人 川本幸子外三名
相手方 太田久子外三名
主文
一 被相続人山田秋吉の遺産を次のとおり分割する。
(1) 別紙不動産目録(一)記載番号一の不動産を申立人山田二三夫の、同目録記載番号三の不動産を申立人山田和吉の、同目録記載番号二、四、五、六の不動産および別紙不動産目録(二)記載の不動産を相手方山田利夫の各取得とする。
(2) 本件当事者全員は上記各不動産につき、各取得者のため上記条項に基づく所有権移転登記手続をせよ。
(3) 申立人山田二三夫は申立人川本幸子、同山田忠夫のそれぞれに対し三五〇、〇〇〇円ずつを支払え。
(4) 申立人山田和吉は申立人川本幸子、同山田忠夫のそれぞれに対し一五〇、〇〇〇円ずつを支払え。
(5) 相手方山田利夫は相手方太田久子、同鈴木ヨシエ、同岡田真理子のそれぞれに対し七〇〇、〇〇〇円ずつを支払え。
二 本件各手続費用はすべて各支出した当事者の負担とする。
理由
調査および証拠調の結果により、当裁判所は次のとおり認定判断する。
1 相続の開始
被相続人山田秋吉は昭和三八年五月六日倉敷市○○で死亡し、相続が開始した。
2 相続人とその法定相続分
本件当事者八人が相続人であるところ、申立人山田忠夫、同川本幸子は被相続人の子山田高次(昭和三六年八月二四日死亡)の子であり、その余の当事者は被相続人の子であるから、申立人山田忠夫、同川本幸子は各一四分の一、その余の当事者は各七分の一がその法定相続分である。
3 遺産の範囲とその評価
(1) 相手方山田利夫の特別受益
(イ) 同人は昭和三六年ころ被相続人より旧児島市○○○字○○○○××××番田一反二畝、同所××××番畑三反の贈与を受けている。
一件記録によると、被相続人所有の田畑はすべて被相続人が自作農創設特別措置法によりその所有権を取得したことが明らかであり、上記二筆の田畑も被相続人が同様の経過により取得したと考えられる。そして、昭和三六年五月一五日相手方山田利夫を売主として岡山県開発公社に対し右二筆が代価三、〇八七、〇〇〇円で売却され、その代金全額を同人が手中にしている。よつて右二筆はそのころ被相続人より相手方山田利夫に贈与されたとみるべきである。
(ロ) 相手方山田利夫は昭和三〇年前後被相続人より倉敷市○○○○○字○○××××番地の一宅地三七坪四合三勺の全部および同地上所在木造かわらぶき平家建居宅一棟床面積二五坪四合七勺の持分二分の一の贈与を受けている。
右の事実は一件記録中の当事者を川本清子、川本幸子、川本忠夫と山田利夫とする民事訴訟(岡山地方裁判所昭和三八年(ワ)第二一一号、同四〇年(ワ)第二九号、同年(ワ)第二〇五号)判決正本および申立人山田二三夫審問結果により明らかである。そして右判決により前記家屋の持分二分の一は申立人山田忠夫、同川本幸子の父である亡山田高次の所有であると認定されたため、相手方山田利夫は控訴審において、五〇〇、〇〇〇円でこの持分を買取つて和解したことが認められる。したがつて、相手方山田利夫が被相続人より贈与を受けた右家屋の持分二分の一の価格も五〇〇、〇〇〇円とみることができる。
更に当裁判所の調査によると、被相続人より贈与を受けた前記宅地は、昭和五三年倉敷市に道路用地として買収され、同年三月二〇日その代金三、八一四、五五〇円が相手方山田利夫に対し支払われている。右宅地価格は五三年当時のものであるから、相続開始時の価格はそれよりかなり低いと思われるが、それにしても相当の価格とはいえる。
(2) 現存する遺産
(イ) 昭和四三年八月二九日付申立人らの上申書、相手方岡田真理子の家庭裁判所調査官に対する回答書によると、遺産にかかる土地の一部を相手方山田利夫において岡山県に売却することとし、その代金八五三、三八〇円が同人の手中にあることが明らかである。(但し、売却の最終処理がなされているかは明らかでない。)
(ロ) 別紙不動産目録(一)(二)記載の不動産が存在する。すくなくとも昭和五五年度において固定資産課税台帳に登録されていることは明らかである。もつとも、その一部が前記の如く岡山県に売却されているともみられるところ、前記の上申書附属書類によると、岡山県作成の土地引渡確認書には、○○○○○字○○とあるだけで地番の記載がなく、地目は畑であり、地積は二五八、七一、一四三の三筆となつている。地積を照合したのみでは不動産目録(一)に該当するものがないのであるが、申立人山田和吉が昭和五三年二月当裁判所に提出した図面によると、不動産目録(一)記載番号五、六の畑に該当すると思われる(前記確認書の数字を合計すると四七二であり、番号五、六の畑の地積を合計すると四七三平方メートルである)。
別紙不動産目録記載不動産の昭和五五年度における土地および家屋課税台帳に登録された固定資産評価額は同表評価額のとおりであり、そして、そのうち畑は市街化調整区域内に存する関係から、時価はその三○倍と見ることができ、その各時価はその時価欄記載のとおりである。
(ハ) 別紙不動産目録(一)記載番号一、二、三、四および同目録(二)記載の物件の価格計三、五五〇、三二〇円と相手方山田利夫の手許にある八五三、三八〇円を合計すると四、四〇三、七〇〇円となり、これを相続人全員に分割することになる。ところで、相手方山田利夫は特別受益として相続開始当時の価格で三、〇八七、〇〇〇円と五〇〇、〇〇〇円を得ており、他に昭和五三年当時の価格で三、八一四五五〇円に相当するものを得ている。すなわち、相手方山田利夫が法定相続分をはるかに超える特別受益を得ていることは極めて明瞭であつて、前記四、四〇三、七〇〇円に相当する遺産はその余の相続人に分配することとなる。
(ニ) 一件記録によると、申立人ら四人の間および相手方四人の間にはそれぞれ意思の疎通があり、そして申立人側と相手方側の間には感情の対立があると認められるので、遺産の分割に当つては、この点を考慮する。
(ホ) 別紙不動産目録(一)記載番号一の畑は現に申立人山田二三夫が耕作管理しているので同人の所有とする。
同目録記載番号三の畑は番号一の畑と大体条件を同じくしているので申立人山田和吉の所有とする。
しかし、その時価はそれぞれ各自の法定相続分を大幅に超えるので、申立人山田二三夫においては申立人川本幸子、同山田忠夫に対しそれぞれ三五〇、〇〇〇円ずつを支払うべきものとし、申立人山田和吉においては申立人川本幸子、同山田忠夫に対しそれぞれ一五〇、〇〇〇円ずつを支払うべきものとする。そうすると申立人山田二三夫、同山田和吉とも価格にして七〇〇、〇〇〇円余のものを取得することになる。もつとも、申立人川本幸子、同山田忠夫は二人で一、〇〇〇、〇〇〇円を得ることになり、他に比して若干多いけれども、前記判決正本などによると、前記の如く、別紙不動産目録(一)記載の畑はすべて、被相続人が小作をしていたことにより、自作農創設特別措置法によりその所有権を得たものであるところ、すくなくとも昭和二一年ころは亡山田高次は被相続人と同居などして協力関係にあり、右特別措置法による恩典を受くる基盤づくりにいくらかの寄与をしているとみることができ、そしてその恩典は今日相続人全員が受けているところであつて、申立人川本幸子、同山田忠夫が前記金額を得るのは相当である。
(へ) 別紙不動産目録(一)記載番号二、四、五、六および同目録(二)記載の物件は相手方山田利夫の所有とする。前記の如く、同人は既に法定相続分以上の特別受益を得ていて分割を得べき相続分はないのであるが、意思が疎通しているとみられる相手方太田久子、同鈴木ヨシエ、同岡田真理子のため上記の方法を採らざるを得ない。これらの者は住所が遠方であつたり、あるいは現時点における生活条件が不詳であつたりし、むしろ現金を与えるのが得策と考えられ、殊に前記目録(一)記載番号五、六の物件は、相手方山田利夫の名で岡山県に売却したものと考えられ、同人に与えてその最終的処理をさせる必要がある。そして、相手方山田利夫は相手方太田久子、同鈴木ヨシエ、同岡田真理子に対しそれぞれ七〇〇、〇〇〇円を支払うべきである。なるほど、相手方山田利夫は別紙不動産目録(一)記載二、四および同目録(二)記載物件を得てもその価格は九九六、〇〇〇円であり、さきに入手している土地売却代金八五三、三八〇円と合計しても、一、八四九、三八〇円であつて右三名の出損に不足するともみられる。しかし、申立人山田和吉提出の前記図面によると、前記目録(一)記載四の土地は県道に接近した場所に位置し、さきには形式的に全部一率に物件の時価を課税台帳登録評価額の三〇倍とみたが、右物件の時価はかなりこれを超えるものと考えられるので、合計二、一〇〇、〇〇〇円の遺産を手中にしているということができる(なお、法律は法定相続分を超える特別受益を返還せよといつていないけれども、相手方山田利夫は他が受取る相続分の数倍を受取つている。そして、不明の点を明らかにするため当裁判所が呼出してもこれに応じない。)。
4 本件手続費用についてはすべて各支出した当事者の負担とするのが相当である。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 竹村壽)
別紙<省略>